2011.06.11宮城県への生活支援ボランティア行動
震災から3ヶ月目にあたる6月11日(土)、宮城県南医療生協の組合員さんがおられる山元町に、津波で家や庭に流された泥やゴミなどを片づける生活支援ボランティアの近畿総行動。この支援行動には、京都民医連より53名、近畿全体で300名を超える参加があり、京都城南診療所からは2名が参加しました。
少しでも復興の手助けになっていれば嬉しい
夜行バスに乗り込み片道13時間かけ宮城県亘理郡山元町へ被災地支援に行ってきました。全壊家屋2000件、半壊730件、死者、行方不明者を含めると700名以上と被災としては大変大きく、実際現場を目の当たりにし、想像以上の衝撃を受けました。町の至るところに車や船、瓦礫などが散乱しておりTVで見るより悲惨な状況でした。
午前の支援内容は、被災されたお宅に伺い家屋や庭のゴミだし、瓦礫の片付け、溝に溜まったヘドロを出すなどの作業でした。津波の影響で家や庭に浸水した所のヘドロ土をスコップで掘り起こす作業は肉体的に大変重労働でしたが、チーム一丸となり協力しあい作業に取り組むことが出来ました。午後からは現地の方々と一緒に溝掃除を行いました。皆さん明るく振舞って下さり、現在の心境や前向きな気持ちなど、貴重なお話を聞かせてもらう事が出来ました。午前中降っていた雨も上がり午後は汗をかくほど暑くなりましたが、やりがいのある大変充実した支援活動が出来たと思います。
石田 哲也
震災被害地域へのボランティア活動に参加して
日程は、京都から6月10日(金)19時京都駅出発で車中泊で移動、11日(土)の8時頃に着き、9時から16時でのボランティア行動をおこない、その日の20時過ぎに仙台をたち、車中泊で12日(日)の朝7時過ぎに京都駅に戻ってきました。
今回の行動は、宮城県南部地域へは近畿の医療生協法人チームが、現地に対策本部を設け、継続した支援活動をおこなっており、ある程度大規模に一気に被害を受けた家屋の生活支援をすすめようと計画されたもので、対策本部の方たちが、事前に「お困りごとがあればお手伝いします」との聞き取りをおこない、事前に依頼のあった家にそれぞれ班を組んだグループが出かけてくというものでした。なお、行政や社会福祉協議会のボランテイアは共有地のみで個人宅や私有地まではやってくれないため、高齢者のみの世帯では、力仕事や人手がいる作業は困難で、手つかずの状態が続いているとのことでした。
この行動では、私が班長、石田さんが副班長、班員は朝日新聞に掲載したボランティア呼びかけに応じて参加された方4名と野口建設の4名の方というグループでのボランティア行動でした。具体的な行動は、午前は雨の降る中、高齢者世帯の家にでかけ、植木や花壇の花がすべて無くなった庭に流されてきたヘドロやゴミをかき出す作業をおこないました。午後からは、他の班と合流したため、人手が多く、社会福祉協議会のボランテイアさんたちと地元町内会のおじさんたちがおこなっている側溝のヘドロだしをおこないました。野口建設のみなさんは、さすがに要領よく作業をおこなっていましたし、一般参加のみなさんも「自分の出来ることは精一杯やりたい」と休憩も惜しんで黙々と作業をおこなうなど、献身的な作業をおこなっていました。昼の3時前、地元の人たちが「もうすぐやな」(こんな関西弁ではなかったのですが)ということを言い出してなんのことかと思っていたら、町のスピーカー放送があり、「震災から3ヶ月が経ちました。・・・・黙祷」との放送があり、そうか3ヶ月目なのか、3ヶ月たってまだこんな状況なのかと思いながら、全員その場その場での黙祷が1分間おこなわれました。
参加して驚いたことは、海岸から1㎞から2㎞ぐらいを南北に走る高速道路の左右の景色の歴然とした違い、海側はすべてが流され更地となっており、横転している車がいたるところにある、流された木材や家具などが山積みとなって至る所に集められたままになっている。逆に高速道路を挟んで内陸部にあたる側は、人がおり、車が通っており、大変だと思いますがなんとか生活しているという空気を感じる。この左右での大きな違いに愕然となり、むなしさを感じました。
感想ですが、しんどかったけど(しんどいことは「石田くん!!」と呼んで石田君にしんどいことをしてもらいましたが)、喜んでもらえたという充実した気持ちになれました。京都城南診療所として、これからも長い支援が必要な東北地方の救済と復興への支援活動を引き続き行いながら、同時に、私たちが住んでいるこの京都市や京都府の地域で、医療・福祉の充実と防災づくりをすすめ、安心して住み続けられる街づくりをすすめていくことも大事だと思っています。(帰ってきてからこの行動が地元で大評判となり、支援翌日には300人分のしごと依頼が地域からあったと聞きました)
尾浦 邦彦