2011.04.12宮城県への震災支援活動・荻須
4月1日から4日までの4日間の日程で、坂総合病院へ支援に向かいました。東京までは新幹線で移動し、そこからは車での移動でした。北道をひたすら北上し坂総合病院を目指していたのですが、福島を過ぎたあたりから今回の地震の影響で徐々に道路が隆起し段差があるところがでてきました。仙台に入るといたる所で道路に段差があり、今回の地震の強さを実感し、さらに短期間で車が通行可能になった復興力の凄さにも感動しました。
仙台市内の高速道路を走行していると、高速道路を中心に海側は津波の影響で広大な範囲の田んぼなどが瓦礫の山と化し、水もまだ残っていました。一方、反対側は津波の影響はほとんどなく、特別変化があるようには見えなかったため、とても不思議な光景でした。市街地は掃除がしてあり道路はある程度きれいになっていましたが、路肩や空き地には瓦礫やつぶれた車などがまだまだ残っていました。
七ヶ浜の海岸を訪れると、家屋の一階は津波によってえぐられ、中には家屋の土台部分とそこに直結している木材だけを残しすべて津波に流されてしまった家屋もありました。また本来あるはずのない所に漁船があったり、車などもありえない状態で止まっているなど、津波の破壊力を目の当たりにしてきました。その悲惨な光景はとてもことばにできるようなものではありませんでした。
支援活動は実質2日間でした。支援内容は、2日間とも避難所へ訪れ避難者の足浴を補助するという内容でした。足浴は足の汚れを落としたり、会話での励ましをするだけではなく、足のむくみや水虫などを発見し、医療に繋げるため健康面でも重要なことだということを教わりました。健康面では、重症の方はそれほどおられず、どちらかと言うと風邪やインフルエンザなどの感染症や慢患の方が多かったです。
2日間、同じ避難所を訪れました。その避難所は電気・水道は復旧していましたが、ガスは意図的に止められているようでした。自衛隊も入っており、お湯の供給や洗髪場のテントなどが設けられていました。しかし、避難所内はそれほど暖かくなく、掃除も行き届いていないそうで環境・衛生面での問題がありました。また、食事も十分ではなくパンがほとんどで自衛隊からの炊き出しもそれほど無く、バランスの悪い食事内容でした。テレビ等で報道されているところは、よっぽど良いところだと感じました。環境・衛生面については、支援に来た医師が問題視し、改善するように要請を行っていました。
実際、多くの子供からお年寄りまで足浴の補助や会話をしました。最初のうちはあまり会話がなかったのですが、徐々に地震や津波が発生した時のことを話してくれるようになりました。地震発生時の話を聞くと、津波の被害の現場を見ているだけに、そのときの光景が目に浮かび言葉に詰まってしまいました。
手が空いた時には避難所内を見て回りました。不安をかかえながらの生活なので、やはり疲労やストレスがかなり蓄積している様子が見て取れました。特に子供は見た目では元気に遊んでいるように見えましたが、夜になってからの子供たちの様子(夜泣きなど)を聞くと、相当精神的に疲労やストレスが溜まっており、大人だけでなく子供たちにも心のケアの必要性を感じました。そういう状況のなかで、私たち支援者を快く迎え、避難者の方からの「ありがとう」など普段から耳にしていることばが、自分の心に重くそして深く響きました。
4日間の日程は、いま振り返ってみるとあっという間でした。本当に自分が被災地の方のちからになれたのだろうかと思うこともありますが、今回の支援で、自分の目で見てきた被災地の状況のことや、支援活動での体験をいかに周りの人に伝えていくかが課題であり、自分の役割だと感じています。足浴を通しての避難者の方との交流や、全国から支援に来ている方たちとの繋がりを大切にし、自分の宝としていきたいです。今回の支援活動は、自分にとって何かのきっかけになるかもしれないぐらい大きく、貴重な体験であったことに間違いはありません。短い期間ではありますが、支援活動での経験を今後の人生に役立てていきたいと思います。
2011年4月12日
健診部 荻須